いさぶろう・しんぺいの紹介

2022(令和4)年12月14日(水)掲載/2023(令和5)年10月17日追記

観光列車「いさぶろう・しんぺい」

 いさぶろう・しんぺい号は1996(平成8)年3月16日に(JR九州肥薩線)八代駅~吉松駅間に誕生した観光列車です。
 正式には人吉駅→吉松駅が「いさぶろう」、吉松駅→人吉駅行が「しんぺい」です。同一列車が上下別名称で運行するのは珍しいですね。使用車両の名称は両方合わせて「いさぶろう・しんぺい」型(略して「いさしん」)と呼ばれています。
 (熊本駅まで運転区間が延びても下りは「いさぶろう」、上りは「しんぺい」を名乗っています。)

 初めはキハ31-12に簡易お座敷(脱着式の畳敷きの板)を1区画だけ用意した専用車両で人吉駅~吉松駅間を一往復していました。その後順調だったのか、「いさぶろう101号」「しんぺい102号」の名称で臨時便をもう一往復追加し、二往復体制で運行していました。
 (実際、休日は二往復とも盛況で、簡易畳席も2区画になっていました。)
 キハ31がお休みの時は、キハ40が代走していました。

 2004(平成16)年3月13日に九州新幹線が新八代駅~鹿児島中央駅間を部分開業するのに合わせて、いさぶろう・しんぺいも赤い専用車両に変わりました。同時にほぼ指定席になり、自由席は数える程度になりました。


運転区間

 初めは人吉駅~吉松駅間だけの運行でした。のちに熊本駅~人吉駅~吉松駅間に変わります。停車駅は下記の通り。
 特急「いさぶろう1号・しんぺい4号」 熊本駅・新八代駅・八代駅・坂本駅・一勝地駅・渡駅・人吉駅・大畑駅・矢岳駅・真幸駅・吉松駅(人吉駅~吉松駅間は普通)
 「いさぶろう3号・しんぺい2号」(普通列車扱い) 人吉駅・大畑駅・矢岳駅・真幸駅・吉松駅


列車名の由来

 「いさぶろう」は、山縣伊三郎(逓信大臣・山縣有朋の甥)、「しんぺい」は、後藤新平(鉄道院総裁・元医師(いやもっとすごい経歴の人なんだけど説明長くなるので勘弁))両名の名前から来ています。
 肥薩線建設にあたり一番苦労したという矢岳第一トンネルが開通した折り、人吉駅側入口に伊三郎さんが書いた「天険若夷」、吉松駅側に入口に新平さんが書いた「引重致遠」が石造りの扁額になり掲げられた。そこから列車名も2人にあやかって(肖るはしいさんの推測ですが)「いさぶろう・しんぺい」になったのです。(列車内の案内放送でそう説明しています。)


豪雨災害により廃止へ

 2020年7月3日(金)早朝から4日朝にかけての集中豪雨により肥薩線は八代駅~人吉駅~大畑駅間を地形が変るほどんお被害を受け、線路も流されてしまいました。
(その豪雨をここで説明すと長くなるので、興味のある方は国土交通省 水管理・国土保全局が発表した資料をご覧下さい。)  走る線路が無くなったいさしんですが、しばらくは鹿児島本線博多駅~門司港駅間を土休日中心に臨時観光列車として往復していました。その後、ツアー列車として九州各地を走り、2023年10月4(水)に博多駅→JR九州小倉工場ツアーを最後に引退しました。


撮影日不明

 初代いさしん。平日はご覧の通りガラガラで、自分一人だけの貸切状態もありました。のちに徐々に人気が出て、土休日は溢れんばかりの乗客がいました。
 車内の写真は古いネガフィルムを現像しないとありませんが、快速「九千坊」と同じ仕組みの畳敷きです。
 キハ31にはトイレが無かったのですが、途中各駅に5分以上停車しますので問題無いと考えられていたのでしょう。

撮影日不明

 キハ31がお休みの時に走っていたキハ140です。ヘッドマークは掲げていますが、車内に簡易畳は無いノーマル車両です。
 個人的には40系気動車が好きなので、この運用に当たったらラッキーとか思っていました。トイレもありますし。

2004年5月11日撮影

 九州新幹線開業のダイヤ改正時に登場した専用車両キハ140-2125(改造車)です。最初はご覧の通り一両だけでした。
 車両中央の天井付近まで大きな窓があり、車窓を楽しむ為その部分だけカウンター付のフリースペースになっていました。トイレもありました。

 しかし2022年9月23日に西九州新幹線に併せてデビューした観光特急「ふたつ星4047」の2号車「ラウンジ40(よんまる)」(キシ140-4047)に再改造され、いさしんからは外されました。

2006年9月9日撮影

 人吉駅で撮影。一番人気(個人的観察より)のしんぺい2号からいさぶろう3号への折り返し風景です。この降りて行くお客さんが居なくなったらホームを駅弁売りが歩き始めます。

2004年12月21日撮影

 2004年10月1日にJR九州でダイヤ改正があり、それ以降に乗客が多い日の増結用にキハ47-9082(改造車)が登場しました。車内の基本設計はキハ140-2125と同じですが、トイレは無くフリースペース部分の窓も未改造です。いかにも増結用って感じです。

2005年10月10日撮影

 キハ140-2125の車内です。基本いさしん用の3両はどれもこんな感じで中央に展望用のフリースペースがあります。乗客が多い時は、フリースペースに立ったまま乗っている自由席客もいました。

2005年10月10日撮影

 2人席です。配置は全部ドアの横です。改造前はロングシートだった部分ですね。窓は改造前のままです。

2005年10月10日撮影

 4人席です。レトロな普通列車なので座席はボックス型でいいと判断したのでしょう。しかし、のちに一部分とは言えこれで特急扱いになるのです。

2004年12月21日撮影

 自由席です。「なんだよただの板じゃんか」とか思った皆さん。そうですただの板です。お尻も少し痛いです。のちにほんの少しだけ改良されます。

2007年12月8日撮影

 そして改良された自由席です。ほんの少しと書いたのは、元の板の上に薄いシートを敷いただけだからです。ただ、お尻の痛みは無くなりました。

2008年7月21日撮影

 地元利用者専用席です。2名x2の4名分あります。のちに普通の自由席になります。

2010年7月16日撮影

 2009年10月某日(日付忘れた)に登場したいさしん3両編成用の新型穴車両、キハ47-8159(改造車)の自由席部分です。しっかりとした横向きソファーです。もはやロングシートとは呼べません。いさしんの自由席も進歩したものです。

2004年7月23日撮影

 キハ140-2125のトイレ横に掲示してある沿線案内図です。

2004年12月21日撮影

 列車の前後にはカメラが設置されており、各車両のモニターで前面展望を楽しめるようになっています。

2004年12月21日撮影

 車内放送で観光案内をする時は、この様に関連動画が流れます。

2020年10月10日撮影

 キハ47-9082の車内です。中央のフリースペースの窓が未改造なのが見て取れます。座席定員数もいさしん3両の中では最多です。

2007年12月8日撮影

 旅の楽しみのひとつに駅弁があります。人吉駅には「人吉駅弁やまぐち」さんが立ち売りをしていました。お店自体は駅前にあり、2022年12月現在も駅弁やお弁当・惣菜を販売しています。駅弁じゃない普通のお弁当はお手頃居価格でお勧めです。

2005年10月10日撮影

 いさしんが走り出してから登場した「とろろ麦めし弁当」です。嬉しいお茶付です。とろろを使っている関係上、お昼時に数量限定で発売されていました。しかし一年もせずに発売は終了しました。

2005年10月10日撮影

 とろろたっぷりでおいしかったです。弁当箱は陶器です。

2007年12月8日撮影

 2人で定番+新作の3種類を食べようと買った駅弁です。定番は鮎すしと栗めし、新作は人吉鳥のてりやき弁当です。

 ちなみに定番の鮎すしと栗めしは、今でも人吉駅弁やまぐちさんの店頭で買えます。だいたいお昼までに売り切れます。

2007年12月8日撮影

 鮎すしは開いた鮎が一匹丸ごと入っています。バッテラ寿司の鮎版って感じです。

 栗めしは人吉名産の栗の炊き込みご飯です。折尾のかしわめしみたいに、味付ご飯の上に栗が乗っています。

 鳥のてりやき弁当は見たまんまです。白ご飯の上に大きめの鳥の照り焼きが乗っています。個人的には梅干しもお勧めです。

2004年7月23日撮影

 いさしんがキハ31-12からキハ140-2125にバトンタッチした時に発売された「いさぶろう しんぺい号リニューアル記念入場券」(5枚組)です。切符の日付はリニューアルの日です。5枚組なんだから、人吉~吉松各駅の5枚だったら良かったのになぁとか買った時は思っていました。(今では大人の事情も分かります。)

2005年10月10日撮影

 列車の中で配っていた沿線案内図です。のちに在庫が無くなったのか、このカラー版を白黒コピーした紙を配っていました。一回り小さくなった第二版もあります(持ってます)。

2007年12月8日撮影

 まだ観光地化の途中の大畑駅。皆楽しそうでなによりです。

2011年7月8日撮影

 いさしんの大畑駅俯瞰ポイントからの天望です。こうやって少し遠くまで見ると、大畑駅が山の中では無く上にあると実感します。良い景色です。

2006年9月9日撮影

 大畑駅俯瞰ポイントに立てられた説明図です。いさしんが赤くなってから立てられました。

2006年9月9日撮影

 トンネルを抜けるとそこは大雨だった。撮影日は一つ前の大畑駅俯瞰ポイントと同じ日です。あれだけ晴れていたのにお隣の駅は土砂降りの中。山の天気は変わりやすいのです。

2006年9月9日撮影

 これだけ降られると、D51を見に行こうという気になれないもの。それでも数人は見に行っていました。
 私? 長い間肥薩線に通っていると、「次の機会でいいか」と直ぐに諦めるものです。

 矢岳駅に併設している「人吉市SL展示館」の写真は別のコンテンツで紹介します。

撮影日不明

 列車に乗ったらむやみやたらに歩き回らない自分が先頭車両に移動して撮った珍しい写真。写り込んでしまった車内灯の配置から、キハ140-2125に変わったばかりの頃だと推測できます。

 写真は肥薩線矢岳第一トンネルの人吉駅側入口に掲げられた「天険若夷」の扁額(山縣伊三郎書)です。「天険若夷」(てんけんじゃくい)とは、「天下の難所を平地(夷)のようにした」という意味だそうです。

撮影日不明

 映り込みが本当に悔しい。銀塩カメラのEOS kissで撮った写真なので、撮影日も覚えていません。

撮影日不明

 こちらは矢岳第一トンネルの吉松駅側に掲げられた「引重致遠」の扁額(後藤新平書)です。「引重致遠」(いんじゅうちえん)とは、「重い物を遠くへ運べる」という意味だそうです。

 以上、扁額の説明はいさしん車内で貰った案内図から引用しました。

撮影日不明

 こちらは綺麗に写っていますね。

2011年7月8日撮影

 日本三大車窓の一つ、矢岳越えからの天望をイラストにした案内図です。こちらもいさしんが赤くなってから立てられました。天気が良ければ遠く桜島を望むことも出来ます。

 …まあ、見えない日の方が圧倒的に多いのですが(汗)。

2017年4年24日撮影

 新しくなった案内図の向こう側に、薄らと桜島の影が見えます。実物を見た時は綺麗に見えているのですが、何故か写真で撮ると薄ら見えます。

2011年7月8日撮影

 こちらも撮影時は綺麗に見えていた薄ら写真。天気が良くても空気が澄んでない場合はこうなります。

2011年7月8日撮影

 最大望遠で撮った写真です。「うっすら」と見えているでしょう?

撮影日不明

 昔、佐世保の(み)さんから頂いた貴重な写真です。拡大しなくても桜島が綺麗に見えています。噴煙も写っていますね。これぞ日本三大車窓って感じです。

 佐世保の(み)さん見てますか?(笑) 写真ありがとうございました。

2006年9月9日撮影

 前出の土砂降り矢岳駅の後に見た真幸駅です。こちらも降った模様ですが、雨は上がっていました。

 真幸駅は人吉側から来る、もしくは行く場合、こうやって2回見送る事が出来ます。スイッチバックって面白いですね。

2008年7月21日撮影

 なるべく人物が入り込まないように写した真幸駅の幸せの鐘です。この時乗客は列車の先頭で記念撮影に勤しんでいました。

 この幸せの鐘、出来た当初は幸せに感謝して鳴らす鐘だったのですが、いつの間にか幸せを求めて鳴らす鐘になっていました。そう言えば、大畑駅も「名刺を貼ると出世する」って話になっていましたね。こうやって都市伝説は誕生するのですね…。

2005年10月10日撮影

 このコンテンツはいさしんの紹介なので、肥薩線で起こった悲しい歴史(大畑駅の慰霊碑とか矢岳第一トンネルの水没事故とか真幸駅の山津波で駅前集落壊滅事故とか)には触れていませんが、ここの「肥薩線列車退行事故」は列車内でも案内されていますので簡単に説明します。
 なお、この事故の詳細は、吉松駅横にある鉄道資料館に展示してあります。私の説明もこの資料館からの引用です。

2005年10月10日撮影

 第二次世界大戦終戦から7日後の1945(昭和20)年8月22日、吉松駅~真幸駅間の第二山ノ神トンネル内で復員列車が立ち往生。→トンネル内に残された乗客は煙から逃げる為に吉松駅側へ徒歩で移動開始。→先頭のD51運転手は乗客を煙地獄から助けようと、徒歩で移動してる乗客に気付かずにバックを開始。→線路を歩いていた乗客は次々に引かれて49名が死亡という大惨事に。というのが事故の簡単な説明です。

 写真に写っている慰霊碑は、1998(平成10)年11月某日に立て替えられたものです。

2017年4月24日撮影

 吉松駅に停車中のしんぺい4号。

2008年7月21日撮影

 しばらく閉店していた吉松駅の売店です。九州新幹線開業。→観光列車のいさしんとはやとの風が乗り入れを開始。→お客さんが増えたので復活。となったそうです。

 取扱品は幕の内弁当とお菓子と飲み物(アルコール含む)で、観光列車が来ている時間だけ営業していました。

2004年5月11日撮影

 さて、人吉駅へ帰るとしますかね。

2006年5月29日撮影

 始めは観光列車として走っていたのは人吉駅~吉松駅間だけでした。でも熊本車両センター住まいのいさしんは熊本駅から人吉駅まで毎日出勤しないと行けません。そこで熊本駅~八代駅間は回送列車、八代駅~人吉駅間は普通列車として走っていました。いさしん車両内にワンマン運転用の設備があるのはその為です。

 この写真は、普通列車として八代駅までワンマン運転してきた姿です。

2009年5月23日撮影

 いさしんも2両編成が定番になった頃、指定席を取れない状態も出て来ました。そこで多客期には初代いさしん号キハ31を自由席車として増結してくれました。いさしんを最初から見て来た私は、勝手に「新旧いさしんの共演だ」と喜んだものです。

2009年5月23日撮影

 サボは新型いさしんに合わせたデザインになっています。

2010年7月16日撮影

 ついに3両編成になったいさしん。普段は2両編成ですが、主にSL人吉号が運転される日に3両化されていました。

 真幸駅では幸せの鐘や出店が吉松駅側にあるので、人吉駅側で撮影する人はあまりいません。

2010年7月16日撮影

 「真の幸せ」と書いて「真幸」。そして幸せの鐘。観光客受けの良い山間の駅です。